Aソ連入国拒否

1936年(昭和11年)12月杉原氏は外務省の人事で二等通訳官としてモスクワの日本大使館への赴任を命ぜられた。しかし、ソ連政府はこれを拒否し、杉原氏へのビザ発給は認められなかった。日本外交官の入国を拒否するという異例な挙に出たソ連のカズロフスキー極東部長は、かつて北満鉄道譲渡交渉のソ連側の代表者で、鉄道譲渡交渉に当っては、ソ連が恐怖するほどの杉原氏の卓抜した調査能力が発揮され、ソ連の惨敗となった前歴があり、この結果を不快に思ったカズロフスキー極東部長は、杉原氏のソ連内での諜報活動を警戒したと言われている。杉原氏は赴任先がフィンランドのヘルシンキ公使館変更されたが、ソ連入国を拒否され、シベリア鉄道で行くことができず、1937年8月、海路にて日本を出発し、太平洋を渡り、シアトルから陸路、アメリカ大陸を横断し、ニューヨークから大西洋を渡り、ドイツで下船し、ベルリンからヘルシンキまでオランダ・スイスを経由しての国際列車を利用した。

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