@北満鉄道譲渡交渉

北満鉄道とは1896年9月に東清協定の締結によって創設された東清鉄道株式会社が起源で、清朝が倒れて「東支鉄道」に、満州国建国で「北満鉄道」という名称に変わり、現在は「長春鉄道」と呼ばれ、中国が管理、運営している。 杉原氏は、当時通訳官として満州国外交部に出向しており、譲渡交渉を満州国首席代表大橋忠一外交部次長の下で担当することになり満州国書記長に指名された。譲渡交渉が始まると、杉原氏は状況を正確に把握していく上で、卓抜した語学力と調査能力を発揮した。その成果は、当初、ソ連側は鉄道及び付帯事業一切の譲渡価格を6億2500万円と提示していたが、杉原氏は北満鉄道譲渡に関わる煩雑な事件の調査や鉄道の状況を調査し、日満側は1億4000万円に抑え込み、従業員の退職金3000万円を足して、総額1億7000万円で決着した。この成果は当時の国家予算が約20億円であることから見ても快挙といえ、当時の新聞にも大きく取り上げられたという。戦後、満州国在勤時のこととは言え、免官を指示された時に、この交渉で示された杉原氏の語学力と調査能力が考慮の材料として取り上げられなかったのが残念である。

(1)杉原千畝氏の生い立ち
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